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チョモランマ峰
- チョモランマ峰は中国とネパールの国境に位置し、北麓が中国チベットに立ち、南麓がネパールにある。東経86.54´、北緯27.54´、海抜8844.43mで、ヒマラヤ山脈の主峰であり、世界一の山である。チベット語では、Qo-mo「チョモ」は女神を表し、Lang-ma「ランマ」は第三を表す。チョモランマ峰の周囲に四つの峰があり、チョモランマ峰は三番目に位置するため、チョモランマ峰と呼ばれている。巨大なピラミッド形となり、雪線高度は北坂5800m〜6200m 、南坂5500m〜6100mで、頂上から麓まで548本の氷河も分布しており、氷河の総面積は1457.07万平方キロ、平均厚さは7260mもある。
- チョモランマ周辺に海抜7000mを超えた峰が40も過ぎている、有名なのは「洛子峰」―海抜8463m、世界4番目高い峰―馬か魯峰(8463m)、世界5番目高峰―ツォ・オユー 峰(7589m)、章子峰(7543m)、努子峰(7855m)、普莫里峰(7145m)などがある。
- 十八、十九世紀から、連続的に一部国の探検家と登山チームがチョモランマ峰を訪ね、探検した。但し、二十世紀五十年代に入ってから、初めて南麓から人が登り始めた。1921年から1938年まで、イギリスの探検家が七回掛け、北麓からチョモランマ峰を登ったが、全て失敗した。1953年5月29日午前11時30分、ニュージーランド登山家のエドモンド・ヒラリ(Edmund Hillary)とネパールのテンジンノルゲイ(Tenzing Norgay)が始めてチョモランマ峰の頂上まで登った。
- チョモランマ峰の登山成功履歴
- 1921年、イギリス登山隊がチャールズ・ハワード・ベリーの指揮でチョモランマ峰を挑戦したが、7000mのところまで上がった。
1922年、イギリス登山隊が酸素供給装置にて海抜の8320mに登った。
1924年、イギリス登山隊が登山途中、ジョージマロリーとアンドリューアーヴィンが行方不明。ジマロリーの遺体が1999年海抜8150mのところにて発見され、携帯のカメラが紛失され、ジョージマロリーとアンドリューアーヴィン二人が頂上まで登った判断が出来ず。
1953年5月29日、イギリス登山隊メンバーとして34歳のニュージーランド登山家のエドモンド・ヒラリ(Edmund Hillary)とネパールのガイドのテンジンノルゲイ(Tenzing Norgay)が南麓から登山成功し、歴史上初めて登山成功チームである。
1956年、アボット・エーグルを始めとするスイス登山隊が挑戦成功で、人類歴史上二回目成功したチームである。
1960年5月25日、中国人が初めて登山成功した。成功した三人が王富洲コンプ(チベット族)、屈銀華。始めて北麓から成功した。
1963年、ノーマン・Dilunfusiを始めとするアメリカ登山隊始めて西麓から成功した。
1975年、日本人田部井淳子がネパールから登山成功、初めて成功した女性となった。
1976年、中国登山隊が二回目登山成功で、全員の九人が登った。中には、チベット族女性の潘多が始めて北麓から登山成功の女性となった。
1978年、オーストリアのピーター・ハベルとイタリアのラインホルトメスナーが始めて酸素不使用で成功した。
1980年、ポーランドの登山家クシシュトフが始めて冬登山成功した。
1988年、中国、日本、ネパール三国連合登山隊が始めて北、南麓の両側から登山成功した。
1996年、著名な登山家のロブ・ハルを含め、15名の登山者が登山途中で犠牲し、歴史上チョモランマ峰登山犠牲者人数の最も多い年となった。
1998年、アメリカ人トムウィテカーが始めての成功した身体障害者となった。
2000年、ネパール著名登山家のバブ・シリが北麓から登り始め、16時間56分で登山成功、最も早いスピード記録を作った。
2001年、アメリカ人ウェホンマールが初めて登山成功の盲人となった。
2005年、中国第四回目のチョモランマ峰総合測定登山隊が登山成功し、高さ等データの測定をした。