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大足石刻と武隆天坑

大足石刻観光案内

 大足石刻は重慶市大足県にあり、重慶から約130キロ、バスで約2時間ですが、成都からは約280キロで、交通時間は4時間半ぐらいも掛かります。大足石刻は殆ど唐代から南宋時代までにできた仏教関係の石刻で、大足県の宝頂山・北山・南山・石門山・石篆山などに集中していますが、今まで発見された仏像の石刻は10万体も超えています。一番よく集中してる所は宝頂山と北山で、それぞれ仏像が1万体ぐらいあります。
 1999年の12月、宝頂山と北山の仏像石刻が世界文化遺産に登録されましたので、重慶のもっとも有名な観光地にもなっています。
 それになぜか大足にはこんなに沢山の仏教造像造られたのかというと、当時の中国の社会事情を説明しないといけません。
  •  唐時代末期、安史の乱の打撃で、唐王朝中央政府の力が随分弱くなり、地方には多くの軍閥が生まれ、権力と土地を占める為に軍閥間で頻繁に戦争が起こります。中国黄河辺りの北方のほうが戦争が多く、普通の国民が生活できなくなったのです。それで、数多い農民や、学者、高僧、彫刻師などが戦争を避けるために、当時割りと戦争が少なく、安定した西南地方の四川省に逃げていきました。特に大足と安岳辺りが当時四川省の政治、経済、文化の中心地で、また交通要所でもあったので、沢山の人がその辺りに住むようになったのです。当時が北方のほうが戦争が多かったのですが、南方で起きる戦争は比較的少なかったため、南方の人が戦争が早く終るように、南方では戦争が起こらないように・・・などの願いを込めて、皆からお金を集めて、北方からやってきた高僧と彫刻師に頼んで、仏像を造らせました。そこから、唐末期から南宋時代まで凡そ400年間の仏像彫刻運動が大足とその周辺の県で続き、できた仏像が今まで発見されたのが10万体ぐらいです。また、大足の隣の県・安岳県でも10万体ぐらい発見され、周辺の仁寿県、簡陽市、資陽市、楽山市などでも数多い仏像彫刻が見つかりました。
  • 宝頂山石刻
    大足県町から約15キロ離れ、約1万体の仏像が彫刻された世界遺産です。紀元1174年〜1252年、当時四川省で流行っていた密教の教主・趙智鳳が主催して、凡そ70年間を掛けて造らせた密教の道場です。主に三つの部分からなっています。
  •  大仏湾
    「U」字の形をしてる小山で、小山の麓の長さ約500メートル、幅8メートルから25メートルの岩壁に8,000体ぐらいの仏像が彫られています。東、南、北の岩壁に彫刻されているのが、それぞれ、金剛力士、六道輪廻図、華厳三聖像、千手観音像、釈迦様涅槃像、地獄変相図、報恩変相図、密教の修行図、円覚洞などです。芸術性と造る技術などの面から考えたら、代表的なのは華厳三聖像、1,007本の手も彫刻された千手観音像、長さ31メートルもある釈迦様涅槃像、十大明王像と一番芸術性が高いと言われている円覚洞です。大仏湾を全部見るには約1時間半ぐらい掛かります。
  •  聖寿寺
    南宋時代の趙智鳳によって大仏湾側に建てられた仏教のお寺ですが、歴史上何度も戦争でなくなりましたが、現存のお寺が清の康煕皇帝時代に建てなおされました。地元の人がよく参拝に行くお寺なので、辺り一帯に線香の香りが漂うお寺です。
  •  小仏湾
    聖寿寺の中に位置しています。趙智鳳は当時お寺を建てた時に、お寺中に沢山の岩石を運んでいって、それらの石をお寺の仏殿の壁に貼り付けた後、その石の表面に沢山の仏像を彫刻しました。合わせて、2千体ぐらいもあります。
  • 北山石刻
     大足県町から約1.5キロ離れた北山にあり、バスで約10分間ぐらいです。1999年、宝頂山と一緒に世界文化遺産に登録されました。仏像が合わせて1万体もあり、唐時代(892年)〜南宋時代(1162年)の間にできたものです。宝頂山のように皆がお金を集めて、仏像作りと違い、北山の仏像が地元の仏教徒が各自其々で金を出して、各自で仏像を造ったものです。その故に、同じ仏像が極めて多いです。観音菩薩、釈迦三聖、地蔵菩薩などの像が最初の三位を占めています。
     北山石刻には唐時代、五代十国時代、北宋時代、南宋時代の各時代の仏像があるので、それらの仏像を通して、各時代の 経済、美意識、仏教の発展などがよく分かります。唐時代の仏像がスタイルが豊満、豊かな顔付きをし、また、衣装はシルク生地が多く、薄くて透明度が高そうですから、唐時代の明るい社会制度、人々の豊かな生活ぶりなどを表しています。五代十国時代と北宋時代の仏像がまず全体的に規模が小さく、それから、観音菩薩と弥勒菩薩の像が圧倒的に多いので、当時国と一般庶民の経済力が弱いことが分かります。また、慈悲の観音様と喜びの弥勒菩薩の造像が多いことから、普通の人々の戦争に厭きた気持ちと仏様に苦から救ってほしい気持ちも十分表しています。南宋時代になると、仏像の規模がかなり大きくなりますし、造る技術も、芸術性も物凄く高いですから、当時の社会的に経済の繁盛さを反映しています。また、仏像の衣装も綿の生地が多く、体の各部分が露出している部分が殆どないことから、当時の風俗習慣を反映する一方、儒教思想が当時中国の主流思想であることもよく分かりました。さらに、仏像の造形とか、顔付きとか人間っぽくなってきてるので、仏教の俗化の傾向も露わになっています。 上記の原因から見ると、北山石刻が大足石刻の代表だと言われ、東方石刻の宝庫とも呼ばれています。日本の観光客にも大人気な仏像観光の名所になっています。
  • 南山石刻
     南山石刻は大足県町から約5キロ離れ、北山石刻から約3キロ、約300体ぐらいの大きい道教の神様造像があります。造られた年代は南宋の1127年〜1279年の間で、当時の南山にあった道教の先生達が彫刻師に頼んで造ったものだそうです。規模も割ると大きくて、当時の道教文化と道教の発展を代表しているということです。
  • 石門山石刻
     石門山石刻は大足県町から約29キロ離れ、北宋時代1094年から造像活動が始まり、最後の石刻できたのが南宋時代の1151年です。道教と仏教の造像が混じり、石像が豊満、人物の表情が豊富、自然などのことから、中国造像史上で独特な価値があります。
  • 石篆山石刻
     大足県町から約25キロ離れ、造像年代は1082年から1096年ぐらいです。高さ3メートルから8メートルまで、長さ130メートルの岩壁には儒教、仏教と道教の人物が彫られ、中国石窟中の代表的な「儒、仏、道」三教造像群です。
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